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くもひとつない青空のように  迷うことのない道を歩いてきた  たとえ回り道に見えたとしても   私にとってそれが航路だ
by ballade-T
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【緊急告知】4/16 チャリティライブ!!at代々木ARTICA

そしてもうひとつチャリティライブします。

ひとまず場所とメンバーだけ…。

『チャリティ・MusicNight』
at 代々木ARTICA
open 19:00 / start 19:30
1st 成澤広幸(ピアノ弾き語り)   19:20~19:55
http://www.youtube.com/watch?v=UzY-X6lbFq0
2nd 鳥井さきこ(ギター弾き語り)  20:05~20:40
http://www.youtube.com/watch?v=KzEe4y4MuK4
3rd ballady (ピアノ弾き語り)   20:50~21:25
http://www.youtube.com/watch?v=dOHxZTkXQTw&feature=related
※時間は前後することがあります。
※料金未定。ミュージックチャージの一部を義援金とさせていただきます。

代々木ARTICA
東京都渋谷区代々木1-41-3 2F
03-3320-3217
山手線  代々木駅(西口)徒歩3分
小田急線 南新宿駅 徒歩2分
http://www.waterbar.jp/index.html

命の源でもある『水』にスポットを当てている
おしゃれでちょっぴり変わったバー。
いろいろな美味しいお水がそろっているので
お酒の好きな方も、そうでない方も、素敵な飲み物に出会えると思います。


皆様が、少し元気を出して外に出て音楽に触れてくださること。
それが直接、義援金という形で復興への光につながります。
ぜひぜひ!!ご来場くださいませ。
# by ballade-T | 2011-04-11 00:16 | おとのこと。

【御礼】チャリティライブイベント終了!

気づいたら桜が満開になってました。

今年はゆったりと腰を落ち着けてお花見できなそうです。
でも、電車の窓から、歩く道すがら、遠くの山の端に、
淡いピンクがあふれるのは、なんて素敵なことでしょう!!


さて、本日無事に…
ballady&行志堂チャリティライブ&オープンマイクatドリカフェ
終了いたしました!!!!!!!

行志堂さんのお仲間さんたくさんに囲まれて、
いろんな音楽が咲き乱れ入り乱れて…
13時に始まったのが20時解散!
なんとも濃く、温かく(熱く!?)、
『1人じゃないなぁ』っていう時間を過ごすことができました。

皆で集めた義援金は、行志堂さんが振り込みをしてくださいますので
そちらの報告をお待ちくださいませ。


書きたいことはたくさんたくさんあるのですが…
明日は早いので、セットリストだけとりあえず。

1.the first song (オリジナル)
2.farewell song (オリジナル)
3.青春の影 (チューリップ)
4.忘れそう (wyolica)
5.Happiness (オリジナル)
6.笑 (笹川美和)

つづきを読む
# by ballade-T | 2011-04-10 23:54 | おとのこと。

あの日から、2週間。 (3)

部屋に戻ったものの、電気がつきません。
ひとまず我が家には充電式のテレビがあるので、
それをつけ、ろうそくをつけて、
ふみふみのためにカセットコンロで夜ごはんを作り始めました。
私は両親に連絡が取れず、またこわさが先に立ってしまい、
とても食欲がありませんでした。


ところが1時間もしないうちに、窓の向かいのマンションから
灯りがこぼれているのにふみふみが気付きました。

電気が戻っていたのです。

我が家は地震の後ブレーカーを落としていたので、
ふみふみにブレーカーをあげてもらい、
明るいこと・あたたかいことのありがたさを噛み締めました。


津波が来ているのは知っていましたが、
その規模と被害を、その時ようやく知ったのです。


眠れずに起きていると、函館の映像が流れました。
どことは言いませんでしたがどこと分かるその場所で、
軽トラックが流されていくのがわかります。
父の会社のすぐ近くでした。


結局その夜は函館の誰にも連絡が取れず、
また余震のたびにこわくなり飛び起きてしまうので
電気とテレビを点け、ジーンズをはいたままこたつで眠りました。
といっても、うとうとしては揺れ、起きては電話をし、の繰り返しで
ほぼ眠れない夜となってしまいましたが。


函館のおばに連絡が取れたのは、朝の6時半でした。
その後ようやく、海のそばに住む祖母にも電話がつながりました。
実家だけつながらなかったのですが、ほどなくして、かかってきました。
ようやく家族全員の声を聞いて、
すやすや眠る芳史の寝顔を見ながら安心して涙が止まりませんでした。


父の会社の工場が、たった61センチ浸水した津波でやられ、
大きな機械が燃えてしまったそうです。
事務所もめちゃめちゃ。けれど皆さん無事でした。
仙台に進学している義妹も、たまたま春休みで山形に帰っていて無事でした。

なにかと縁の深い東北。
けれど、ひとまず私の周りは皆無事でした。
手放しに喜んではいけないことだけれど、でも本当に嬉しかった。



その後も大きな余震があったり、いろいろなところで揺れていたり、
原発のことがまだ落ち着かなかったり、計画停電が始まったりしていますが、
とりあえず私は無事でいます。
少しずつ気持ちも落ち着いてきました。

この3連休、地元で演奏会があって帰るはずが帰れなくなりましたが、
それでもこうして落ち着いて暮らせること、
本当にありがたいことなのだと感じています。


まだまだ復興には時間がかかると思いますが、
私の大好きな北日本に、早く笑顔が満ちあふれるよう、
できることをひとつずつ、やっていきたいと思います。



長くなりましたが、忘れないように記録しておきました。
単なる備忘録なので、ここまで読んでくださった方、
なんだかすみません。。。


今ここにある命、せいいっぱい大切にしていきましょう。

(おわり。)
# by ballade-T | 2011-03-25 18:50 | ひびのこと。

あの日から、2週間。 (2)

子どもさんを迎えに行くお母さん。
すれ違わないようにお子さんの情報を聞いておいたり、
そこにいる方々と情報交換をして、
ご主人と連絡を取るよう促したり東北にお知り合いがいないか確認したり…
私自身の話(函館と山形に両親がいて、仙台に義妹がいて…)をしたり、
阪神大震災を経験されている方とお話しているうちに、
誰ともなく落ち着いて行動できるようになりました。


お子さんたちがぽつぽつと帰ってきて、
お母さんたちが落ち着きを取り戻してきたのも大きいと思います。


真っ先にふみふみに連絡したかったけれど、
きっとお店も大パニックだろうと思って電話しませんでした。


けれど、函館も鶴岡も電話がつながらない。
もしやと思って、兄のいる沖縄にかけてもつながらない。
せめてメールをと思うと、メールは一応送れるので、
それからしばらく、事態が動くごとに
ふみふみ・父・義父・義妹・兄にメールを送りました。


そのうち母親が一緒にエントランスにいることに安心したのか、
余震も気にせず子どもたちが遊びはじめます。
私たちも停電が解決しないことにはどうしようもないし、ということで
誰とはなく、次第に、エントランスにレジャーシートやチョコレート、
充電器や懐中電灯など思い思いに持ち寄って待つことにしました。


地震から2時間ほど経ったでしょうか。
送れているはずのメールなのに、全く受信していないことにふと気付き、
試しにメール問い合わせをしてみると25件ほどものメールが。

登録してあるメールの地震速報もありましたが、
友人からのメール、そしてふみふみからの連絡もありました。
その後もメールは比較的順調で、
(といっても問い合わせをいちいち必要としましたが)
連絡手段があることの安心感を感じていました。


ふみふみは結局お店が18時閉店になるとのこと。
とはいえ帰宅難民が多いでしょうから帰りは遅いだろうな、と覚悟しましたが
早番だったこともあって19時すぎに「歩いて帰る」と連絡があり、
21時前には無事に会うことができました。

人が多すぎて多摩川沿いを歩いてきたそうなのですが、
空襲でも受けたように空が火事で赤く輝くのを見てきたそうです。


結局停電はまだおさまらず、
「いつまでもエントランスにいるわけにいかないから」と
21時でそこを離れ、それぞれの家に入りました。


夜までひとりでいることなく、
近所の皆さまや中学生の女の子と話をしながら待てたことは
とても心強く、ありがたく思いました。


(また、つづく。)
# by ballade-T | 2011-03-25 18:49 | ひびのこと。

あの日から、2週間。 (1)

今日の川崎はお天気も良くて、余震もほぼ感じなくて、
街に停電の影響があふれている以外は、本当に日常が戻ったかのよう。
でも本当は、違うところにいろいろな影響があります。
家や家族など大切なものを失ったわけではないけれど、
震災前の姿とは違う生活をしているという意味で、
私たちもまた、ある種被災者なのか、と思うといてもたってもいられません。

あの日、私はいつものようにパソコンをいじっていました。
テレビをつけながら、だらだらと。
するとゆさゆさ、と揺れ始めました。
私は地震がとても怖いので、いつも自分を落ち着けようとします。
けれど揺れは大きくなる。
家中が、ぐわしゃぐわしゃぐわしゃと音を立てています。
そばに立てかけてある大きな本棚を押さえながら、
ふるえる手でNHKをつけようとしました。

しかし、チャンネルを変えようとボタンを押したところでTVが消えたのです。

日中で明るかったので、一瞬停電だと気付きませんでした。

はっと我に帰り、「この大きな揺れは停電だ」と悟った瞬間
「これは大地震だ」「閉じ込められるかもしれない」
「外に出なければいけない」と
それまでただパニックだった頭がパニックなりに冷静になりました。


泣きながら窓を開け、扉を開け、お風呂場とトイレの扉を開け、
玄関を開け、ロックを挟んで扉が閉まりきらないようにしてから
どさどさと音を立てて揺れる中を、階段で1階まで降りました。


外の駐車場では止まっている車がぼうん、ぼうん、と跳ねています。
桜の木も電信柱も、ゆっさゆっさ、ぐらんぐらんと揺れています。
大風が吹いた、とかそういう景色ではありません。

いつも声を交わす管理人さんも外に出ていました。
顔を見るなり、「こわいー、こわいー」と叫び続けました。
管理人さんの腕をつかみ、声を出し続けることでしか
その場で生きていられないような気持ちになったのです。



どれくらい経ったでしょうか。
ようやく揺れが収まり、私はすぐさま心を落ち着け情報収集をしました。
ケータイから得た情報は、『震源三陸沖、M7.9(当時) 
川崎市中原区は震度5弱』ということでした。
私の人生で一番怖かった、北海道南西沖地震の揺れより大きかったので、
その震度に納得しながら「どこかで津波の被害が出るかもしれない」と
おぼろげに思っていました。



大通りから少し入った住宅街だったので
街の大騒ぎからは隔離されていました。
けれども、1人になりたくなくてその場を動けずにいると
それぞれ部屋にいた奥様たちも出てきました。
皆で肩を寄せ合うようにして、
またケータイで得た情報を話しながら、道路の真ん中に避難していました。
学校の子どもが気になって、迎えに出るお母さんもいました。



(つづく。)
# by ballade-T | 2011-03-25 18:48 | ひびのこと。