くもひとつない青空のように  迷うことのない道を歩いてきた  たとえ回り道に見えたとしても   私にとってそれが航路だ
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あの日から、2週間。 (3)

部屋に戻ったものの、電気がつきません。
ひとまず我が家には充電式のテレビがあるので、
それをつけ、ろうそくをつけて、
ふみふみのためにカセットコンロで夜ごはんを作り始めました。
私は両親に連絡が取れず、またこわさが先に立ってしまい、
とても食欲がありませんでした。


ところが1時間もしないうちに、窓の向かいのマンションから
灯りがこぼれているのにふみふみが気付きました。

電気が戻っていたのです。

我が家は地震の後ブレーカーを落としていたので、
ふみふみにブレーカーをあげてもらい、
明るいこと・あたたかいことのありがたさを噛み締めました。


津波が来ているのは知っていましたが、
その規模と被害を、その時ようやく知ったのです。


眠れずに起きていると、函館の映像が流れました。
どことは言いませんでしたがどこと分かるその場所で、
軽トラックが流されていくのがわかります。
父の会社のすぐ近くでした。


結局その夜は函館の誰にも連絡が取れず、
また余震のたびにこわくなり飛び起きてしまうので
電気とテレビを点け、ジーンズをはいたままこたつで眠りました。
といっても、うとうとしては揺れ、起きては電話をし、の繰り返しで
ほぼ眠れない夜となってしまいましたが。


函館のおばに連絡が取れたのは、朝の6時半でした。
その後ようやく、海のそばに住む祖母にも電話がつながりました。
実家だけつながらなかったのですが、ほどなくして、かかってきました。
ようやく家族全員の声を聞いて、
すやすや眠る芳史の寝顔を見ながら安心して涙が止まりませんでした。


父の会社の工場が、たった61センチ浸水した津波でやられ、
大きな機械が燃えてしまったそうです。
事務所もめちゃめちゃ。けれど皆さん無事でした。
仙台に進学している義妹も、たまたま春休みで山形に帰っていて無事でした。

なにかと縁の深い東北。
けれど、ひとまず私の周りは皆無事でした。
手放しに喜んではいけないことだけれど、でも本当に嬉しかった。



その後も大きな余震があったり、いろいろなところで揺れていたり、
原発のことがまだ落ち着かなかったり、計画停電が始まったりしていますが、
とりあえず私は無事でいます。
少しずつ気持ちも落ち着いてきました。

この3連休、地元で演奏会があって帰るはずが帰れなくなりましたが、
それでもこうして落ち着いて暮らせること、
本当にありがたいことなのだと感じています。


まだまだ復興には時間がかかると思いますが、
私の大好きな北日本に、早く笑顔が満ちあふれるよう、
できることをひとつずつ、やっていきたいと思います。



長くなりましたが、忘れないように記録しておきました。
単なる備忘録なので、ここまで読んでくださった方、
なんだかすみません。。。


今ここにある命、せいいっぱい大切にしていきましょう。

(おわり。)
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by ballade-T | 2011-03-25 18:50 | ひびのこと。

あの日から、2週間。 (2)

子どもさんを迎えに行くお母さん。
すれ違わないようにお子さんの情報を聞いておいたり、
そこにいる方々と情報交換をして、
ご主人と連絡を取るよう促したり東北にお知り合いがいないか確認したり…
私自身の話(函館と山形に両親がいて、仙台に義妹がいて…)をしたり、
阪神大震災を経験されている方とお話しているうちに、
誰ともなく落ち着いて行動できるようになりました。


お子さんたちがぽつぽつと帰ってきて、
お母さんたちが落ち着きを取り戻してきたのも大きいと思います。


真っ先にふみふみに連絡したかったけれど、
きっとお店も大パニックだろうと思って電話しませんでした。


けれど、函館も鶴岡も電話がつながらない。
もしやと思って、兄のいる沖縄にかけてもつながらない。
せめてメールをと思うと、メールは一応送れるので、
それからしばらく、事態が動くごとに
ふみふみ・父・義父・義妹・兄にメールを送りました。


そのうち母親が一緒にエントランスにいることに安心したのか、
余震も気にせず子どもたちが遊びはじめます。
私たちも停電が解決しないことにはどうしようもないし、ということで
誰とはなく、次第に、エントランスにレジャーシートやチョコレート、
充電器や懐中電灯など思い思いに持ち寄って待つことにしました。


地震から2時間ほど経ったでしょうか。
送れているはずのメールなのに、全く受信していないことにふと気付き、
試しにメール問い合わせをしてみると25件ほどものメールが。

登録してあるメールの地震速報もありましたが、
友人からのメール、そしてふみふみからの連絡もありました。
その後もメールは比較的順調で、
(といっても問い合わせをいちいち必要としましたが)
連絡手段があることの安心感を感じていました。


ふみふみは結局お店が18時閉店になるとのこと。
とはいえ帰宅難民が多いでしょうから帰りは遅いだろうな、と覚悟しましたが
早番だったこともあって19時すぎに「歩いて帰る」と連絡があり、
21時前には無事に会うことができました。

人が多すぎて多摩川沿いを歩いてきたそうなのですが、
空襲でも受けたように空が火事で赤く輝くのを見てきたそうです。


結局停電はまだおさまらず、
「いつまでもエントランスにいるわけにいかないから」と
21時でそこを離れ、それぞれの家に入りました。


夜までひとりでいることなく、
近所の皆さまや中学生の女の子と話をしながら待てたことは
とても心強く、ありがたく思いました。


(また、つづく。)
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by ballade-T | 2011-03-25 18:49 | ひびのこと。

あの日から、2週間。 (1)

今日の川崎はお天気も良くて、余震もほぼ感じなくて、
街に停電の影響があふれている以外は、本当に日常が戻ったかのよう。
でも本当は、違うところにいろいろな影響があります。
家や家族など大切なものを失ったわけではないけれど、
震災前の姿とは違う生活をしているという意味で、
私たちもまた、ある種被災者なのか、と思うといてもたってもいられません。

あの日、私はいつものようにパソコンをいじっていました。
テレビをつけながら、だらだらと。
するとゆさゆさ、と揺れ始めました。
私は地震がとても怖いので、いつも自分を落ち着けようとします。
けれど揺れは大きくなる。
家中が、ぐわしゃぐわしゃぐわしゃと音を立てています。
そばに立てかけてある大きな本棚を押さえながら、
ふるえる手でNHKをつけようとしました。

しかし、チャンネルを変えようとボタンを押したところでTVが消えたのです。

日中で明るかったので、一瞬停電だと気付きませんでした。

はっと我に帰り、「この大きな揺れは停電だ」と悟った瞬間
「これは大地震だ」「閉じ込められるかもしれない」
「外に出なければいけない」と
それまでただパニックだった頭がパニックなりに冷静になりました。


泣きながら窓を開け、扉を開け、お風呂場とトイレの扉を開け、
玄関を開け、ロックを挟んで扉が閉まりきらないようにしてから
どさどさと音を立てて揺れる中を、階段で1階まで降りました。


外の駐車場では止まっている車がぼうん、ぼうん、と跳ねています。
桜の木も電信柱も、ゆっさゆっさ、ぐらんぐらんと揺れています。
大風が吹いた、とかそういう景色ではありません。

いつも声を交わす管理人さんも外に出ていました。
顔を見るなり、「こわいー、こわいー」と叫び続けました。
管理人さんの腕をつかみ、声を出し続けることでしか
その場で生きていられないような気持ちになったのです。



どれくらい経ったでしょうか。
ようやく揺れが収まり、私はすぐさま心を落ち着け情報収集をしました。
ケータイから得た情報は、『震源三陸沖、M7.9(当時) 
川崎市中原区は震度5弱』ということでした。
私の人生で一番怖かった、北海道南西沖地震の揺れより大きかったので、
その震度に納得しながら「どこかで津波の被害が出るかもしれない」と
おぼろげに思っていました。



大通りから少し入った住宅街だったので
街の大騒ぎからは隔離されていました。
けれども、1人になりたくなくてその場を動けずにいると
それぞれ部屋にいた奥様たちも出てきました。
皆で肩を寄せ合うようにして、
またケータイで得た情報を話しながら、道路の真ん中に避難していました。
学校の子どもが気になって、迎えに出るお母さんもいました。



(つづく。)
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by ballade-T | 2011-03-25 18:48 | ひびのこと。

【告知】チャリティライブ開催!<皆で元気になろう!!>

あの日のこと、まだ少しかけそうにありません。
でも、記しておかなくちゃ。忘れないために。

今はただ、私のできることを、できる形で、していくこと。


私には歌しかないから、
歌って、呼びかけて、歌って、元気づけて。

関東の人にしか、来てもらえる人にしか、
私の歌は届かないかもしれない。

それでもその場の人たちが少し元気になってくれたら、
少しずつ変わると思います。
関東を、早く日常の姿に。
関東に歩く人たちを、早く日常の元気に。


というわけで、以前知り合った方と
チャリティーライブを開催することにしました。

たくさんの皆さんにご参加いただけたら嬉しいなと思い、
ここに告知いたします。



************************

「行志堂、balladyのライブ&チャリティー・オープンマイク」
(東日本大震災復興支援ライブ)

日時:4月10日(日)13:00開演
チャージ:500円+オーダー
会場:ドリームズカフェ
板橋区仲宿63-10 浅川アビタシオン2F
 ■電話      03-5375-5502
 ■メール     doricafe@jcom.home.ne.jp
 ■mixiコミュ   http://mixi.jp/view_community.pl?id=4216089
http://members3.jcom.home.ne.jp/doricafe/doricafe_map.jpg(地図)

プログラム
13:00~ballady(http://petitiny.exblog.jp/ http://www.myspace.com/ballady )(35分)
13:45~行志堂と仲間たち
(参考動画:http://www.youtube.com/user/sakiel02#p/search/44/AEDa3BrgxIw)(35分)
14:30~オープンマイク(18:00くらいまで)


★このたびの東日本大震災。
私の大好きな北日本を中心に大きな被害が出ています。
そこで、なにかできないかと考えて、
行志堂さんとチャリティーライブを企画いたしました。
まだまだ不安な関東の私たちですが、東北の皆さんのためにも、これからの日本のためにも、
早く元気になって、早く歩きださなくちゃ!
このライブを通じて、皆でホッとしたり元気になったりできればと思います。

なお、当日は募金箱を設けます。
お預かりした募金は日本赤十字社に責任をもって振り込みます。
ぜひ皆さんと素敵な一日を過ごし、明日への糧としたいと思いますので、
皆さまふるってご参加いただければ幸いです!!


ballady
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by ballade-T | 2011-03-21 15:16 | おとのこと。

皆へ。【落ち着いてきたよ】

たくさんの皆さま、連絡ありがとうございます。

メッセ、メール、チャット、電話、SNSづたい、、、
とてもとても嬉しく、心強かったです。

まだちょっと、不安材料は多く、
まだちょっと、家を空けるのが怖く、
まだちょっと、どきどきしたりしますが、

でも、少し元気になりました。

少し元気になったら、やりたいことも出てきました。


とりあえずさっき春の陽射しのあふれる窓辺で
いつも通りとおる電車や
向かいのマンションの洗濯物や
子どもの遊ぶ声や鳥の声を聞いて
「あぁ、日常ってこんなにもいとおしいものなんだな」と思いながら
少しお昼寝をすることができました。

起きたら少し元気になっていたので
コンタクトに付け替えて、私も少しずつ日常です。

本当に、ありがとうございます。

これからも、つながっていようね!
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by ballade-T | 2011-03-13 17:41 | ひびのこと。

皆へ。

たった今、マグニチュードが9.0に修正されました。
私のいた川崎市中原区は震度5弱。
長く、大きく、恐ろしい揺れでしたが、
幸い私やふみふみの親族関係含め、
思いつく限りの皆の無事が確認できました。
今は余震が続いていますが、大きな被害もなく過ごせています。


この幸いな状況を踏まえて、私にできることを。
何ができるかしら、どんな風に?誰に声をかけようか。
いろいろ考えてることはあるのだけれど。



心が動かない。



余震。気づかない人もいるくらいの、ほんの少しの揺れ。
フラッシュバックと言うほどひどくないにせよ、
心臓が早鐘を打ち、テーブルの端を掴んでしまう。
揺れが収まってからも、一昨日のこと、
小さな時の記憶、思いだしてしまう。


北海道南西沖地震。小学校5年のときだったかな。
両親と同じ部屋で寝ていた私。
寝ぼけ眼の私に、母が必死で覆いかぶさる。
父が箪笥をおさえる。ものすごい音。机の上の本やものが落ちる。
おさまり、居間で家族合流。金魚の水槽から水がこぼれ、
金魚が床でばたばたと跳ねる。
そんな函館でも、発表の震度は4(旧震度基準)。

震源が近い。奥尻の向かい側に住む、祖母の安否。
朝になり祖母のもとへ。向かう途中の、揺れと津波の惨劇。
波打つ国道。歪んだ田んぼ。廃材の山になった家のあと、
電線にひっかかる昆布。電柱の上に、水で濡れた跡を示す線。
それからいつの頃までかかったか覚えてないけど、
眠るとき、ラジオや音楽をつけて、
枕元の電気をつけておかないと眠れなかった。
そんな記憶が、瞼の裏に、焼き付いている。




でも、もう私も大人になり、幸い被害は何もない。
早く心を落ち着けて、そしてひとまず部屋の片づけでもして、
それから私にできることを行動に移していかなくちゃ。




だって、


行動力が私の取り柄だから。





でもお願い、そのために、少しだけ皆にお願いがあるんです。

メールでもいい、このコメント欄でもいい、
それからツイッターでもチャットでもいい。
いつもより少しだけ強く、私とつながっていてくれませんか。


他愛ない話でもいい、地震と関係ない話でもいい。
昨日見た夢の話や、明日のお天気のこと。

情けない私ですみません。

今回の地震体験も、記録のため残しておこうと思っています。
もう少し落ち着いたら。
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by ballade-T | 2011-03-13 12:46 | ひびのこと。